ものを大切にする心
福島原発の処理水放出に関して中国が反発し、一部SNSでデマが拡散しているとのニュースが紹介されています。一連の処理水の問題に関しては、小生も言いたいことは多々あるのですが、気になったのはSNSで紹介されていた動画の一場面です。処理水問題とは直接関係がないのですが、私以外の方はどう考えるのか気になりました。
動画の一場面で、 " 日本産の水産物は超ディスカウントして販売しても、日本人ですら買わない " というメッセージを発信しているのですが、店員なのか、動画を上げている本人なのかわかりませんが、パッキングされた切り身を陳列しているところから取り上げ、元に戻す際に放り投げて戻していました。とっさに私は違和感を覚え、" 食べ物なんだから丁寧に扱えよ " って思ってしまいました。
また、私がいつも録画視聴する " Discovery Channel 名車再生 " というイギリスのBS番組があるのですが、メインキャストのマイクというのが、" これはくたびれていますね〜 " とか言ってタイヤや、ボディをいつも足蹴にするんです。大切にするものの対象が日本人とは違うのかと思ってしまいます。足蹴にするにも躊躇はありませんから。
でもマセラッティのスロットルボディを修理した際、巧みに修理し1年間の補償まで付けてくれた修理屋をさして、” ものを大事にするイギリスの伝統です ” などど語っていました。イギリス人が言う、ものを大事にするという意味は、ものを大切に扱うということではなく、いつまでも大事に長く使うということなんだと悟りました。要は、自分が主体で、他者やものが主体ではないんですね。つまり、イギリス人が大事にしていたのは、” もの " ではなく、" こと " だったんです。
食べ物はもちろん、ものを大切に扱う心は親から受け継がれ、日本人は大切にしてきました。もちろん、貧しかった当時の世相や、戦時下における国民意識の高揚、すなわち政府の意図を反映した面もあるでしょうが、古来からの日本人特有のメンタリティがあるように思えます。だって、そう思うことに対して技術者である私でさえ違和感は覚えませんから。
私が会社に入り数年立った頃、試作部門に機械加工を特急でお願いしたことがありました。制作が進んだ後で急な設計変更が入り、担当者(旋盤のオペレータ)からこっぴどく怒られました。担当者も私自身に怒りをぶつけても埒が明かないので、工程途中の試作品が入った通箱を思いっきり蹴り上げました。咄嗟に私は、担当者の胸ぐらを掴み ” 足蹴にするとは何事だ、これは俺の子供みたいなものだ ” と殴りかかろうとしたのですが、思い止まったんです。
この出来事の後、私は自問自答を繰り返します。自分は何に怒ったんだろう? ものを大切に扱わなかった担当者を諌めたかったのか? 馬鹿にされたと思い、怒りが湧いただけではないのか? そもそも、ものはなぜ大切に扱わなければいけないんだ、蹴ったくらいでは試作品はびくともしないよね? 自分だって、ものを大切に扱っているかどうか怪しいし。。。でも、この局面では自分の思いを伝えるのが大事だし、ものを大切にする心も大事なので、一言注意すべきだったというのが私が出した結論でした。後の祭りでしたが。。。理屈じゃないんです。ものは大切に扱うべきと、心が叫んでいたんです。それ以来、私は判断に迷いが生じた際は、必死に心の声を聞くようにしています。
なんとも面倒臭いことなんですが、ものを大切に扱う心は、日本人だからこそ身につけているもので、受け継いでいくべき宝です。ものにも魂は宿ると言いますよね。大切に扱わなければいけません。この意識が、品の良さにもつながるはずです。
もうすぐ、科学の祭典ひたちなか大会です。昨年同様、私も参加しますが、理科教室を通じてものを作る喜びと同時に、ものを大切にする心も伝えていかなくてはならないと思っています。理屈、効率ばかり追求するのが科学技術ではないですからね。
長くなってしまいましたので、今回はこれくらいにしておきます。ではまた。